Dress up Men

NEWS

知見のある男は洒脱に着こなす
テーラード、スーツ関連のイベントやブランド情報を紹介
2016.12.19

トークショー「スーツ生誕350周年 ~半・分解展とスーツの未来~」第一部

06

2016年12月8〜12日、渋谷・ギャラリー大和田にて開催された「半・分解展」。これまで京都、名古屋と巡回してきた本展示会の魅力はなんといっても、博物館級の歴史的価値ある衣装が半分に分解された状態で展示されていることにある。この大胆な試みは服作りに携わる方はもちろん、テーラーやパタンナーを志す若者、そして古着が好きな一般の方にまで反響を呼び、広告などを一切していないにもかかわらず累計1,400人を超える来場者が集った。

11日には2部構成で「スーツ生誕350周年 ~半・分解展とスーツの未来~」と題したトークショーがおこなわれ、第一部では、服飾史家で明治大学特任教授の中野香織氏が登壇。洋服は人が着るためのものであり、その時代ごとに密接な関係があらわれるとしてスーツの歴史「メンズファッションの源流」について、現在のスーツの形に至るまでの背景を長谷川氏と語りあった。トークショー終盤には中野氏が聴講者の質問に答える時間もあり、当時の男性の下着についてなどあっという間の時間であった。

img_1651

■スーツの祖先

形において、スーツの直接の祖先とされているのは19世紀中頃のラウンジスーツと呼ばれるモノ。くつろぐためのスーツとして作られ、それができるまでには国によって異なるテイストをもちながら洗練、進化し、現在のスーツの原形になった。ではラウンジスーツができるまでに西洋の男性がどのような服を着てきたか。スーツの祖先ができたのは17世紀イギリス。チャールズ2世(※1)による衣服改革宣言『余は新しい衣服一式を採用することにした。この衣装は、もう変えることはない』と宣言。この結果、長袖の上着、ボトム(半ズボン)、ヴェスト、シャツ、タイといった現在のスーツにつながるシステムが誕生。したがってこの日をスーツの誕生日と位置づけている。1666年10月7日(※2)のことであった。

(※1、陽気で愛人も沢山、洋服が大好きな国王であった。故ダイアナ妃も血縁)
(※2、当時の物価などを事細かに記録にていたサミュエル・ピープスの日記にて記述)

 

■衣服改革宣言前夜(三銃士の時代)

なぜチャールズ2世が宣言をすることになったか。それまでの男性ファッションは頭の先からつま先に至るまで全身リボンやレースが付き、女性よりも男性の方が華やかな衣装を身にまとっていた。ダブレット(胴着)の裾や袖口からシャツが出ていてだらしない印象であった。その最中、ペストが流行(1665年)。翌年にはロンドンの大火事と災いが続く。そこに誰かのせいにしたいという感情が働き、庶民が宮廷への天罰だと言い出す。ファッションの王であったチャールズ2世は、服装から改革しようとした。

以後、導入されたヴェスト。この時代、長髪、メイク、ハイヒールにタイツと、まだ男性の脚線美が重要視されていたがロングのヴェストにコートを羽織ったスタイルが登場。これを皮切りに徐々にスーツの形に近づいていった。ヴェストは当時、貴族に倹約を教えるための服であった。”袖と背中は刺繍なしの薄い生地でいい。見えるところだけお金をかけましょう。” 今のヴェストはこの名残である。

 

■現代から見る衣服改革宣言の意義

それまでやりたい放題であった紳士服が堅実、抑制、反装飾へ向かう契機を作った。
男性の方が血に近い色として赤やピンクを好み、ふくらはぎに詰め物をしてまで脚線美を誇示。
※女性のブルー(青色)は貞節をあらわす色とされていた。

この宣言はアンチファッション宣言とされ、現代まで無駄を削ぎ落としたスタイルとして好まれる理由にもなっている。今の英国スタイルがなぜ人気があるのか→アンチファッションであることがとても大きい。そして、ダブルスタンダード(※3)であること。

(※3、2重基準:同じ事柄を2つの異なる基準で評価すること。ex)モダンとクラシック、クールとエモーショナルなど相反する要素)

しかし、ヴェストは当初の意図とはまったく異なり皮肉にも贅沢品として発展。いまでもフォーマルウェアとして最も装飾的なパーツとされ、西欧では結婚式などには必ず着用し華やかにヴェストで装うスタイルである。日本ではカインドウェアが、戦後のまだ貧しかった頃に礼服として黒い服を1着、黒いタイ、白いタイ、芸事用、弔事用として用意しましょう、と提案。西欧とは異なるフォーマルのルールがあるが、このことが現在まで引き継がれている。

 

■その後の男性衣服〜18世紀ロココ時代

改革後、長袖の上着、ボトム(半ズボン)、ヴェスト、シャツ、タイといったスーツのシステムを洗練していく形で発展。この頃の男性はまだ赤い服にハイヒール、メイク、長髪というスタイルは残るが、17世紀に比べすっきりした印象。そして18世紀、ロココ時代。女性が政治、経済の主導権を陰で握っていた時代。システムは洗練されても男性服はまだ華やかであった。

・なぜ18世紀の男性は長髪白髪なのか?

音楽室にあったモーツァルトの肖像画のような。かつらの上から髪粉(原料は小麦粉)をかけていた。これには2つの説がある。1つめ、ロココ時代、パステルカラーが好まれていたため、白い髪の方がキレイに見えた。2つめ、現代は若い人に合わせようとするが、この当時パーティーなどの出会いや恋愛の場面において、年上(年配者)に合わせたため。しかし、このことが王妃マリー・アントワネットが言ったとされている「パンがなければお菓子を食べればいいじゃないの」という言葉に、食べるパンもないのに上流階級の貴族はお洒落に小麦粉を使っていると庶民が怒り、これをきっかけに革命(フランス革命)が起こる。

04

■なで肩洋梨体型がモテていた? 一転、ギリシャ彫刻のような逆三角形体型へ

フランス革命をきっかけに、初めて男性が長ズボンを履くようになる。貴族の象徴であり脚線美を強調するための半ズボン(ニーブリーチズ)であったが、貴族狩りから逃れるため貴族であることを隠すために長ズボンを履くようになった。

そして新古典主義(※4)が誕生する。

美の基準を簡素で力強い美しさに求めようという芸術運動が起こる。一度壊れそうになると原点に帰ろうとする人間心理。フランス革命で秩序が破壊されてしまう。しかし、ヨーロッパの精神の源流はどこであったかと人々が考えはじめ、古典古代(ローマ、ギリシャ)に回帰しようという発想が起きる。(リーマンショック後、多くのブランドが自分たちのアーカイブを見直そうとした動きと同じ)ほんの10数年の間に女性の衣装もロココ時代の華やかな装いから、ローマ、ギリシャにインスパイアされたシンプルな装いへ。男性は求められるお手本がもはやフランスにはなく、英国のジェントルマン階級(カントリージェントルマン)に求められた。しかし、まだ男性の虚栄心が強い時代。ギリシャ彫刻のような体型に近づけたいがために、コルセットをして、ヒップパッドをつけてウエストラインを作っていた。

(※4、革命後にいき過ぎた華美な装飾を退廃とみなして古典古代に回帰しようという表現)

 

■ダンディズムの祖、ボー・ブランメル

(通称)ボー・ブランメル。本名ジョージ・ブライアン・ブランメルという人物が、階級の差あるいは貧富の差を超えて提唱したことにはじまる。

男性のスタイルに何をもたらしたか…
これまでの華やかさから一転、色彩、装飾を極力なくし、清潔さを徹底させた。
(男性のメイクアップをやめ、髪を短くして、髭を剃る習慣をもたらす)
白いものはカントリーに出して洗濯、カントリーウォッシング(水のきれいなカントリーで洗濯をする)、ネッククロスには完璧をきす。ブーツはシャンパンで磨く。(シャンパンの糖分が艶を出すそう。いまでも靴ブランド”ベルルッティ”の開くスワンの会で、皆一様にタキシードを着て磨いている。)

抑制、排除、引き算、消去の徹底。日本人は無難という姿勢でおこなっているのに対し、ブランメルは攻めの姿勢。当時の貴族階級の美意識に対して、徹底的な否定をおこない、これを男性服にもたらした。この美学が現代のスーツに引き継がれている。

『振り返られることなく、あくまでもさり気なさが命である』とした。
※詳細はダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』(新潮選書)』を参照

 

■美意識の変化

ブランメルの服装の社会的意義として、徹底的な引き算の美学。一見、貴族もブルジョワ階級も平等である。その結果、階級差にわずらわされることなく仕事や社交ができるようになった。近代メンズスーツのはじまり、市民社会を後押しすることになる。これは極めて社会意義が高いことである。

 

■ドレスコードの確立

19世紀中頃に今とほぼ変わらないスーツとなったが、どこかで差をつけたい人間心理がはたらく。昼間の正装フロックコート、準礼装モーニングコート、夕方イブニングテールコート、これを着る約束事が確立される。これ以外の場面でくつろぐために着ていたのがラウンジスーツであり、社交も仕事もしなくていい時に着ていた。このラウンジスーツが発展して現代のスーツの原形となった。

 

講師・明治大学特任教授 中野 香織氏

服飾史家、エッセイスト。明治大学国際日本学部特任教授 過去2000年の男女ファッション史から最新モード事情まで研究・執筆・レクチャーをおこなっている。 東京大学大学院博士課程単位取得満期退学、ケンブリッジ大学客員研究員を経て文筆業、2008年より明治大学国際日本学部特任教授。専門はファッション文化史、ダンディズム、イギリス文化史。著書『モードとエロスと資本』(集英社新書)、『ダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』(新潮選書)、『愛されるモード』(中央公論新社)ほか多数。監訳『シャネル、革命の秘密』(ディスカヴァー・トウェンティワン)ほか翻訳書多数。『英和ファッション用語辞典』(研究社)監修。新聞・雑誌・ウェブでの連載記事多数。

中野香織氏のホームページはこちら
http://www.kaoriーnakano.com/

 

フリーモデリスト 長谷川 彰良氏

ESMOD JAPON 東京校卒。企業パターンナーを経て2016年9月フリーモデリストとしての活動を開始。在学中から 自身のBlog「RRR129」にて、19世紀半ば~20世紀初頭のヨーロッパにおけるラウンジスーツ、ハンティングウェアを中心に、パターンや縫製について独自の研究成果を公開。国内外から注目される。「100 年前の感動を100 年後に伝えたい」をモットーに活動中。

SPONSORS

協賛企業